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幕末ロマンに想いを馳せる京都の料亭 京料理 箔

京都・三条木屋町通りに佇む
一日三組限定の料亭


美しき繊細な四季の移り変わりを

この上ない非日常な空間と共に

五感でもてなす至福のひととき


幕末の志士 武市半平太の寓居跡となる歴史的空間で、幕末ロマンと四季折々の和の美味を、心ゆくまでお愉しみください。


※表示価格は1名様のお食事のみの料金です。お飲み物等の追加オーダーの料金は、現地にて申し受けます。

※表示価格には消費税(10%)、サービス料(10%)を含みます。

※アレルギー食材がございます際は、ご予約時にお申し付けください。


月・火曜日が定休日のため、それ以外の曜日をご選択ください。

◆お食事は、17時~又は19時~の二部制です。それ以外のお時間をご選択された場合、ご調整いただきます。

◆ご予約は2名様以上で承ります。

◆ご利用の3日前までのご予約に限ります。また、ご利用の2日前よりキャンセル料100%を頂戴いたします。

価格(税込)
¥36,300
商品コード:
D0021220001

数量 必須

予約人数 必須
第一予約希望日時 必須
第二予約希望日時 必須
第三予約希望日時 必須
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彩箔 〜SAIHAKU〜

旬の食材をふんだんに使用した会席コースをご用意いたしております。

お献立

誘い(先付)

前菜

旨味(吸い物)

向附(お造り)

本日の厳選素材料理

強肴(お肉料理)

口替わり

食事

香の物

食後のお愉しみ(水物)

初物・出始めの"走り"の時期の食材、まさに今が美味しいと言われる”旬”の食材、もうそろそろ終わり、また来年・・・と惜しむ”名残”の食材をうまく組み合わせ、日本らしさ・京都らしさを残しつつ、イノベイティブな新しいスタイルの和懐食をご提供いたします。


■ご利用の手順

1. ご予約の人数とご予約希望日を第3希望まで選択し(定休日の月・火曜日以外、17時~又は19時~)、カートに入れて購入手続きを行ってください。

2. 箔よりお客様にご連絡差し上げますので、ご予約日を確定してください。

3. ご予約日当日は、デライトにてご購入の旨と注文番号、お名前をお伝えください。

4. 特別なお時間をお過ごしください。

※ご入力いただいたご予約人数、ご希望の日付・時間は確約ではございません。あらかじめご了承ください。

◆ご注意ください

・ご予約は2名様以上で承ります。

・ご利用の3日前までのご予約に限ります。また、ご利用の2日前よりキャンセル料100%を頂戴いたします。


所在地

京都府京都市中京区木屋町通三条上る上大阪町528-3

営業時間:17時~22時(ラストオーダー:21時)

定休日:月曜日・火曜日

京都木屋町

鴨川にかかる三条大橋からすぐ、木屋町の中。地下鉄東西線京都市役所前駅、三条京阪駅からお越しください。

商品詳細ミニコラム

箔の歴史

ここは、幕末当時は四国屋丹虎という料亭でした。

土佐四天王と呼ばれた中の一人、「武市半平太(武市瑞山)」が上洛の折、暮らしていた場所でございます。

武市半平太は、土佐勤王党を組織し藩論を尊皇攘夷へ傾けることに成功すると、文久二年(一八六二年)八月一日に山内容堂に従って上洛し、丹虎を住居とします。 部屋は増築、改装をされて当時のままではございませんが、半平の間に残る「床の間の床板」と、「床柱」は当時のままの姿で残っております。

半平太が丹虎に滞在していたのは、文久三年四月、帰国するまでの約半年間と言われています。その間、応接役として長州藩や各落尊王派の志士達と交わり、また、岡田以蔵に暗殺を命じたともいわれる活動拠点でもありました。

「丹虎」は、長州藩士や尊王攘夷派志士の定宿であった為、過激浪士の隠れ家の候補としても挙がっており、池田屋騒動事件の夜、近藤勇、沖田総司たち約六名が池田屋に、土方歳三たち二十名が丹虎に向かったと言われています。 密会は池田屋で行われており、丹虎に踏み込んだ二十名はすぐに池田屋へ向かっています。その日、丹虎で坂本竜馬が中岡慎太郎と会っていたと言う説も残っております。


武市半平太とは

通称、半平太。本名は小楯、号は瑞山。

瑞山と龍馬は親戚関係にあり、身分は郷士の龍馬よりも上で、上士と下士の中間にあたる白札。

冷静沈着で優等生の武市と、いつも夢を語り「大風呂敷(大げさ)」と呼ばれていた龍馬は好対照だったが、一時は同じ方向に向かおうとしていた。

文久元年(1860)八月には、土佐藩同志の団結を計画して土佐勤王党を結成。勤王党員の手による吉田東洋暗殺後は土佐勤王党が台頭し、藩内で大きな力を持つようになり、栄華を極めた。しかし、隠居していた前藩主・山内容堂が土佐へ帰ってきてからは、一転して弾圧される立場となり、遂には瑞山も投獄された。

龍馬が亀山社中を結成した慶応元年(1865)、瑞山は獄中で切腹させられた。未だ誰も成し得なかった三文字の切腹を成し遂げて、武士の気概を見せたと伝わっている。享年36歳。

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